2012/11/2

斎藤はトレーナーの指示  

斎藤はトレーナーの指示でしばらく患部をアイシングしていた。米メジャーリーグ・レンジャーズへの入団が決まったダルビッシュ有投手(25)。かつて「師弟」の間柄だった斎藤佑樹投手(23)との関係は冷え切ってしまったまま別れ≠迎えた。その決定的な分岐点となったのが、実は昨年5月8日のソフトバンク戦といわれる。その後、エースは斎藤と接触することを意識的に避け、親しい選手らに「あいつはいろいろ教えてあげても『はい』というだけで何も実践しない」と不満を漏らし、周囲も両者の距離を傍観するしかなかったという。

糸が切れたままの両者は壊れた関係を修復する機会もないままに別れの時を迎えた。その後、1か月半の戦線離脱を余儀なくされた試合だ。ついにはグラウンドで会話を交わすこともなくなり、初選出された球宴のころになると冷戦が深刻化。しかし試合が2回、3回と進み、緊急登板した多田野ら中継ぎ陣が奮闘する中で、斎藤の状態を気にしたダルビッシュがベンチ裏に様子を見に行くと、こんな光景を目撃してしまったという。それで『お前、誰のせいで中継ぎや野手の人たちが必死に戦ってくれてるんだよ! 治療が終わったら、さっさとベンチに来て応援しろ』と怒鳴られ、周りにいた人間も苦笑いしたそうです」(チーム関係者)斎藤にしてみれば、患部の状態を心配して連絡してきた関係者に返答メールを送っていただけだった。

もともとの野球観が違っていた2人に決定的な亀裂が走ったのは昨年5月のことだった――。しかし、常日ごろから斎藤に対して「打ってもどこか響かない」「野球に対する姿勢が、どこか違う」と違和感を抱いていたダルビッシュの堪忍袋の緒が切れてしまうのも仕方ないタイミングだった。テレビのインタビューに斎藤が堂々と「自分のお手本になるのは武田勝さん」と言い切ってしまうほど、両者の関係は修復不能な状態に陥った。初回を無難に三者凡退に抑えながら首脳陣の判断で降板した直後のベンチ裏。先発した斎藤は初回、わずか10球を投げたところで左脇腹に違和感を覚えて途中降板。

一体、何があったのか。「運悪くダルビッシュが来た時に(斎藤)本人はメールを打っていたそうです。入団当初は「目指すべきはダルビッシュさん」と公言していたものの、ある時期を境に蜜月関係がプッツリ。チームメートとして、わずか1年限りの関係。
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2012/10/31

勇人  

勇人もエラーにはなったが、低く送球できた。大事なゲームで試合を作れずに申し訳ない」5回の守備から阿部が右足を痛めて途中交代。松本哲が補殺にダイビングキャッチとスーパープレーを連発した。5回先頭・中田の三遊間のライナーを村田が横っ跳びで捕球。会見場に現れた原監督は、「ここの照明は明るいね」と笑顔だった。

原監督「2勝1敗になったがこれまでと一緒でまた明日はフラットな状態でいく。代わった実松と高木京、ゴンザレスで2つのバッテリーミスを犯して2失点したのも痛かった。だからこそ、先発・ホールトンの乱調が響いた。原監督「先発が3回もたないとゲームそのものが厳しい展開になる」ホールトン「要所でボールが高く、自分の投球ができなかった。松本哲は3安打、盗塁、美技で気を吐いた。

2回1死から稲葉に一発を浴びると、制球を乱して3回途中5失点。一戦一戦切り替える、というのは全く変わらない」東京Dより右、左中間が6メートル広い敵地でDH制となれば、右翼に長野、中堅に松本哲、左翼に亀井の強力外野陣を敷いた。コナミ日本シリーズ2012第3戦 日本ハム7―3巨人(30日・札幌ドーム) 巨人は先発ホールトンが3回途中5失点の乱調で敵地での初戦を落とした。暗さはなかった。指揮官が札幌Dで目指す「守備重視」の野球を貫いた。

3回を終わって5点のビハインドを背負いながら、ジワリと点を返し、一方的な展開にはさせなかった。収穫はあった。仮に阿部欠場という最悪の状態を招いたとしても、指揮官の目指す「守り勝つ」野球を展開できるかどうか。「松本が非常に良かった」と目を細めた。高い守備力を日本ハムに印象づけ、簡単に点は取れないという意識付けをするには十分だった。
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