2010/2/1  1:20

秋山清「全電通詩人集団 第11回大会・講演」  未収録拾遺集

 全電通詩人集団の二年に一度の総会に招んでいただきまして、詩を書かれる皆さんと一緒に作品の批評に参加してきましたが、ここで一つだけ詩についてお話ししたいことがあります。昨日から議論してきたなかで既に出たことでもあり、それの総論でもあるのですが、別に私が考えていることでもあるのです。
 それは詩は誰のために書くかということ。皆さんが詩をそれぞれ書いてきて、いったい、詩は誰のために書いているのか、あらたまって言うのも可笑しいくらい、昔からの問題だと思います。戦後、地域にあるいは組合の中に詩のサークルができています。これは皆さんに関係ありませんが、当時、昭和25年から30年にかけてですが、昭和の初めころのプロレタリア詩運動の脈をひいているといいますか、政治的事件とか、政府のこととか、自分たちの労働時間、生活に関わる問題を詩運動に入れながら、結論として、政治的な意味を詩を読む側に判らせようと、つまり啓蒙しようと、詩を手段にした。それが少しも疑われなかった、そういう傾向があった。 
 戦後の文学のいちばん大きな課題はそれでしょう。戦争中のまた戦争以前の左翼文学には、左翼的な政治の立場からの文学の目的、つまり政治が主で文学は従である、政治の方針に依って、文学あるいは作品で何を書くかということまで左右されるという傾向があって、それが左翼の文学として戦争の前に強くなった。次に戦争の時代が来るとその人たちは、プロレタリアの時代は左翼的な、社会主義的認識の立場から書かれた、政治的な目的に沿って書いた習慣があり、それと同様に戦争になると国家のために、戦争のために右翼も左翼も作品を書くようになった。
 文学の面でいいますと俳句、短歌、詩、小説も文学報国会に組織されてしまいました。そのときの文学報告会は組織的に申しますと、会長が最初に島崎藤村で、詩人も全部入りまして、詩人会の委員長が高村光太郎でした。現在活躍している大阪の小野十三郎も入っています。私が一緒に仕事をしていた人が全部入っています。金子光晴が戦争反対の詩を書いて評価されていますが、彼も文学報国会に入って、第一回の総会に出席して帰って来て、私に「あのようなものには二度と出るものじゃないよ」とこう言っていましたが、「それは考えれば判ることで、出ていっていまさらそうゆうことを言うのは間が抜けているよ」と言ったら、「そうかそうか」と、彼は以後一度も出なかった。つまり昭和初めの8、9年に左翼文学組織ができて昭和12年に支那事変、太平洋戦争に入りますが約10年ぐらい国を挙げての戦争です。
 政治目的のために文学を活用する、それに対する反省として、戦後先頭をきったのが『近代文学』で、これは埴谷雄高、本多秋五とか平野謙などで、その連中は左翼的文学から出てきたのですが、文学は政治に従属するものはいかんという考え方で、ある者は共産党員で、ある者は社会主義者だったのですが、文学に就いての反省から、政治に文学が頭をさげるのではなくて、文学は政治とは質の違うものだ、だから政治が文学の主人であってはならぬという主張があって、それが論争となり、対立があるというような岐路を歩いてきて、ほぼ今では、文学は政治に従属しないというふうに認められてきたと思います。
 その問題をふまえながら、詩はなんのために書くのか、誰のためにかと、考えをもう一歩ずらして考えますと、私はこの問いを、いろいろの所で発して、私の生きる道を拓いてきた。いざそのように開き直ってきますと、さてはっきりその立場を考え、自覚している人は非常に少ない。やはり政治的なことにあるいは組合の方針に従属してはいかんということはいいますが、さて自分が何のために書いているのかと言われると、さて自分が何のために書いているのか、戸惑う。
 その問題を、私は非常に簡単に割り切って「自分のために書くのだ」と言います。自分のために書くと言うといろいろ誤解されるときもあります。自分のために書くのなら、人に見せる必要はないと、素朴な意見で反論する人がありましたが、私の考えているところでは二とおりの意味がある。
 一つは先ほど沖縄に行って書いた詩がありましたが、あの詩を見れば判るように、あそこで自分が何を書こうとしたのか、充分にとらえていない。しかし現在、この席でいろいろ批評し、彼女は自分の意見を述べたことで、かなり、何を書くべきだったかがはっきりしたと思います。それは自分が沖縄に行った感想のなかで、感動したものがどうゆうものだったか、沖縄に行って何を自分は考えたかはっきりさせることが、詩を書くことだし、詩を巧く過不足なく書いてゆくことであります。
 私が詩を書くことは、何かはっきりしないことでも、詩を書くことで自分の内部ではっきりさせなくてはならないということになります。哲学的な問題として捉えると、いかに自分が生きるかということになります。詩を書きながら大きな問題と取り組んで、自分の考えのまとまらない部分をはっきりさせる、自己形成してゆくということになります。
 もう一つ社会問題ついて述べると、今までの昭和初めのプロレタリア文学および戦争中の日本の詩は、書く目的があって、階級的な主張の宣伝であり戦争中は戦争のけしかけあいだった。
 戦後の場合は社会問題に対して自分との関わりをたしかめる、別な言葉で言うと自己確認です。どちらにしても自己形成に繋がるわけです。
 書くという中にじぶんをたしかめ、考えをあきらかにする。したがって、詩を書くことではっきりさせるのです。腑に落ちないと思うかもしれませんが、自分が詩を書く過程で解ってもらえると思います。もちろん効果としてコミュニケーションはありますが、目的ではないと思います。簡単な言葉で「詩は自分のために書く」とした主張のあることを心にとめておいていただきたい。 
              
「全電通詩人」67号(1977年12月20日発行)
2



この記事へのトラックバックURLはありません
トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ