中秋の名月雲とかくれんぼ   写真俳句

中秋の名月雲とかくれんぼ    史朗

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岩鼻やここにも一人月の客 去来


先師(芭蕉)が上京されたとき、去来(私)が言った、
「洒堂はこの句(の下の句)を、『月の猿』と(したほうがよいと)申しましたが、私は、(『猿』よりも)『客』のほうがいいだろう、と申しました。(先生は)どうお思いですか。」

先師が言うには、「『猿』とは何事だ(とんでもない)。 おまえは、この句をどう思って作ったのだ。」

去来(私)が言うには、「明月に興を感じて、山野を句を吟じながら歩いていましたところ、岩頭に(私以外に)もう一人の風流を好む人を見つけました。」と言った。(去来の考えでは、『月の客』は、もう一人の人のこと。)

先師が言うには、「『ここにも一人の月の客』(がおりますよ)と、自分から(月に向かって)名乗り出るほうが、どれほどの風流が感じられるだろうか。(『月の客』を)ただ自分のこととした句とするべきだ。
この句は私も大事にして、『笈の小文』に書き入れたのだよ。」とおっしゃった。

私の趣向は、(師の考えに比べれば) さらに二、三段も劣っているだろう。先師の考えで見れば、少し風狂の人の感もあるであろうか。

あとでよく考えたところ、(「月の客」を)自分のこととした句として見れば、風狂の人の趣も浮かんで、(「月の客」を他人のこととした)初めの句の趣向より十倍も優れている。
まことに作者自身が、(自作の)真髄を知らなかったのであった。


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中秋の月  蘇軾

暮雲 収め尽くして清寒溢れ
銀漢 声無く 玉盤を転ず
此の生 此の夜 長くは好からず
明月 明年 何れ(いずれ)の処にて看ん

現代語訳
日暮れ時、雲はすっかり無くなり、心地よい涼風が吹いている。
銀河には音も無く玉の盆のような月があらわれた。

こんな楽しい人生、楽しい夜、しかし永遠に続くものでは無い。
この名月を、来年は、どこで見ているだろう。

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