むくどりのゆめ

2014/2/13 | 投稿者: minoru

シンガーソングライターの、村上ゆきさんのブログに、先日 庭に椋鳥(むくどり)の亡骸があった・・・と言う事を書かれていた。

それを読んで、急に思い出したのが・・・
あたしがまだ小さい頃に読んだ 浜田広介著「ひろすけ童話」の中の「むくどりのゆめ」という童話だ。

内容は
帰らぬ母を待つ椋鳥の子の心を描いた切ない物語・・・

(下のサイトで読む事が出来ます)

まったくこのお話の事は、先ほどまで忘れていたのだが・・・・
今「むくどりのゆめ」を読んで、なぜこの本を母が飼って来たのかがわかった。

実は・・・
あたしの母は、あたしが3歳ぐらいの頃に、母は急に倒れ(失禁もしていたらしい)救急車で渋谷の日赤医療センターへ(親戚が事務長をしていた)
検査の結果脳腫瘍だった。
今ならCTをはじめ、検査方法や、手術法も進んでいるようだが・・・
その当時はまだCTも無い時代だった。
詳しい事はわからないが、血管から造影剤を入れながらレントゲンを撮るという検査
柱に縛り付けられ、造影剤が頭に回る時には、頭の中に電気が走り火花が散るようだったらしい

手術をしても成功は数パーセント
植物状態になる可能性も・・・・
そういう事だったらしい

そんなことで数カ月の間、あたしは母に会わせてもらえなかった。
母はもし自分が死んだ時、自分のことを思い出さないように・・・
父がもし後妻をもらった時、あたしが後妻になじめなくならないように・・・・
そんなことを考えてだったそうだ

しかし一度だけ、手術の前に母に会っている
今でも覚えているのだが・・・
父と一緒に電車で見舞いに行っている
たぶん渋谷駅だと思うのだが、キオスクで吊られて売っている、コインのチョコレートとおもちゃの車掌さんセットを買ってもらい、バスに乗って日赤へ・・・
まだそのころの日赤は木造の病棟だった
もしかしたらもうその時間は、面会時間が過ぎていたのかもしれないが
薄暗い病室に母が横になっていて
その横であたしが母に、チョコレートを父に買ってもらったと見せ、ひとつ母にあげると渡した覚えがある。
それを最後に数カ月母には会えなかった。

もしかしたらそれが母と会うのは最期だったのかもしれない

とても運が良かった
母の手術をしてくれた先生は、その当時脳外科の名医と云われた方だった。
そんな先生が担当してくれたのは、親戚が事務長をやっていたせいであろう。

母の手術は大成功し
身体が落ち着いたころだろうか・・・
数カ月後、母の見舞いに、また行くことができた。
その時だれと見舞いに行ったのかは覚えていないのだが・・・
明るい病室からは庭の木々が見え、病室からその庭に出られるようになっていた。
二人部屋だったのか、とても優しいおばさんがお隣のベッドにいた。
母は車いすだっただろうか?並んで歩いた覚えがないのだが・・・
おばさんと母とあたしで、庭に出て散歩をした。

見舞いに行ったのを覚えているのは、その2回だけだ。
たぶん2回だけだと思う。

そして母が退院の日
あたしは家にいて、伯母に連れられ母は帰ってきた。
茶の間で母は自分の頭に手をやり、髪の毛にする。
スルッとその髪の毛は取れてしまった。
カツラだったのだ・・・
カツラの下の頭は丸坊主だった
あたしはそれを見て、大笑いをした。
大笑いをして、そのまま大泣きをし、母の胸に飛び込んだ。
いままでの我慢が爆発したのだった。
母は笑顔であたしを抱きかかえてくれた。

それから40数年・・・・
母は途中病気をしたりもしたが、絵を描いたり、連絡もせずに海外旅行に行ったり・・・今も元気にしていてくれる。

「むくどりのゆめ」では母鳥は死んでしまい、もう母には会えなかったのだが・・・
ありがたいことに、あたしは再び会う事が出来た。
でもその数カ月の間・・・むくどりと同じ思いをしていた。

そんなお話
母はあたしに読ませたかったのだろう
自分でも読んで涙したのだろう
それを今になって気が付いた。

かあさん ありがとう

思い出させてくれた村上さんありがとうございます

http://www.geocities.jp/hirosuketakahata/hirosuke.htm
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